営業2課は急な人事異動に追われていた。
同期の原が係長を務めていたが、突然異動になり、後任が自分になった。原は熱い男で、同期の中でも出世が早い方だった。原と引き継ぎするため連絡を取る。
「あー、会って話す?いいけどさ。話せば長くなるが、話したくないね。」
よくしゃべるくせに回りくどい男だ。熱い話をする男だが、1分で終わる話を10分かけてするようなところがある。ただ、話したくないとはどういう事だろう。とにかく、引継ぎをするために翌日17時に喫茶店で会う約束をした。
「よう、西本久しぶり。」
疲れた顔で、しかし目の奥は眼光鋭く原が現れる。
「お前さ、マスク汚れてねえ?まあいいや。」
会っていきなりこれか。確かに元の職場の片付けなどでマスクが汚れた。しかしそれぐらいは察しがつきそうなものだろう。それにこいつのマスクは汚れの目立たないグレーだ。営業2課は出来る限り白のマスクをすることに決められている。
「オレのことはいいよ。しかし、やってられねえよ。」
さっそく愚痴が始まった。この男は性格も熱いしそれに弁もたつ。目つきが鋭いことと、断定口調で物をしゃべるから妙な説得力もある。それに何より曲がったことが嫌いな男で、誰に対してもそれを指摘する。あふれる正義感が、彼の大物感を引き立てる。
愚痴から始まったが、引継ぎはテンポよく進んでいく。簡単なことを難しく言うが、要は担当者に任せておけば大丈夫だが、期日の設定をシビアにすればいいという事だ。
「あとは篠塚工業だが…。そこの取引は気を付けておけよ。あの会社の槇原って男は要注意だ。」
と原は言う。
「何かあったのか?担当を外れるのも…」
「そう、篠塚工業が原因だよ。俺だと話が通じないってよ。詳しくは本人に聞いてくれ。」
吐き捨てるように言う。
「オレは、間違ったことは嫌いだからな。ま、営業2課から、企画部の営業に転身だ。同じ営業だけど、もうお前とはなかなか会わないかもな。」
担当を外れると言いながらも、企画営業という花形へ行くのか。可愛がられてやがる。
新しい配属先の鹿取課長に報告する。鹿取課長は多くを語りたがらなかった。
「西本、営業4課から話は聞いている。君は話をわかりやすくしてまとめるのが得意らしいな。篠塚さんの話は多くを掘り下げなくていい。ただ、わかりやすく話を進めてくれ。」
掘り下げなくていい?ならなんで配置換えが起こるんだ?
赴任早々、取引先周りに追われる。問題の篠塚工業にも顔を出す。担当を呼び出すと槇原さんが対応してくれた。
「どうも、課長の槇原です。いや、大変だったでしょう?いろいろありましてね。まあどうぞ、こちらへ。」
槇原さんは課長だった。取引先とはいえ、こちらより格上。しかしずいぶんと腰が低い。製造についても、納期についても話は簡潔で、わかりやすく話を進めてもらえる。
「わが社は名目上、どの取引先さんにも同じ値でおろしていますが、御社は特にロットも大きいですから、別途リベートという形で伝票を書いております。西本さん、今後もよろしくお願いします。」
聞いたところ、別段揉めるようなことは何一つとない。原はいったい何を間違っていると思ったのか。
「原さん?あの人の話が聞きたいんですか?」
あれだけ丁寧に対応してくれた、槇原さんが、めんどくさそうに口を開く。
「原さんは、リベートの伝票が気に入らなかったんですよ。」
原は優れたビジネスマンだ。リベートの仕組みがわからないようなバカではない。
「2か月前に御社が注文した部品がね、100ケースほど遅れたんですよ。聞けば御社にはまだ300ケースの在庫がある。ならば、それまでそれを使っていただいて、二日ほど遅れると。部品自体は当社に合ったんですが、配送先の手違いでね。」
納期遅れは褒められたものではないが、在庫があるなら今回だけは、と見逃す。まあ、仕方がないだろう。
「当然伝票は、部品と同時にいれる。しかし、リベートの伝票は締めをまたいでしまった。今回は当社の落ち度なので納品したものとして『みなし』で入れましょうと。」
しかし、原は見逃さなかった。
「みなしとは何ですか?当社の注文に対して納品が無い。これは明確に御社の落ち度。原価を下げられないから値引き(リベート)で入れるのは御社の都合。なら、今回はリベートではなく、伝票原価を下げるのが筋でしょう。」
「原さん、値引きを入れたほうが、当月の原価は下がりますよ?」
「槇原さん。当然先に入れれば当月は下がる。しかし、翌月は上がる。」
「わかりました。今回無理を聞いていただいている。来月はその分もリベートを入れましょう。」
「槇原さん。そういうことを言ってるんじゃないんですよ。」
なんだこの問答は。配送が遅れるだけなら、伝票もリベートも見なしで入れればいい。そして来月色を付けてもらう。それで済む話じゃないのか?
「そうなんですよ。」
槇原さんは言う。篠塚側としては、配送先の落ち度もかぶると言っている。しかし原は、とにかく在庫と原価の数字が合わないことを忌み嫌った。槇原さんやその上司だけでなく、篠塚工業全体の体質がこうさせたと大きく騒いだらしい。
「で、どうなったんですか?」
「いや、それ以後、話になりませんで。うちは信用できないと。ただ、御社も部品がなくてはいかんので、鹿取さんに頼みまして、当社としては伝票を従来通りに出した。それでまた、原さんがおかしいとおっしゃいまして。」
この程度のことでこの取引から降ろされたのか…。ただ、原は誰が何を評価したのか、係長から課長補佐に栄転である。
別れ際、槇原さんは遠いところを見ながら言う。
「だいたい正義感の強い男ってのはね、めんどくさいもんなんですよ。でもね、それって、本当に正しいんですかねえ…。」
槇原さん、わかりますよ。でもね、本当におかしいのは、その正義感に対しめんどくさがって「お前は正しい」って言ってしまう世の中なんですよ。そして、怖いことに、その正義漢は誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の正しさを立証しようとする。無自覚にね。
「無自覚。なるほどね。」
槇原さんは変わらず遠いところを見る。
「私もね、配送先を責めてしまったんですよ。焦ってしまってね。ですが、これも私の保身だったんですかね。」
「そうですね。槇原さん。間違いは誰にでもある。それを許さないのは間違いかも知れません。ウチも差し迫っているわけではないですし、御社もまだ余裕がある。単純に納期を二日早めましょう。締め日から遠ざける。それだけで済む問題だ。」
「西本さん。あなたとはうまくやっていけそうですよ。」
正しさとは、正確さである。ただ、物事にはいくつも角度がある。立場によって見え方は変わる。自分が正しいことに自信があったとしても、「自分が間違っているかもしれない」この視点だけは無くしてはいけないのだ。
★ 以前まったく違うところに書いた話の焼き直しです。
正義の男は原、それに振り回される人間と評価する人、それを冷ややかな目で見る西本、という構図です。
そういう業界にいたことは無いので、トンチンカンなことを書いているかもしれないんですが、自分が正しいと思っている人間が苦手でこれを書いています。
登場人物が80年代の某球団の選手の名前なのは気にしないでください。
同期の原が係長を務めていたが、突然異動になり、後任が自分になった。原は熱い男で、同期の中でも出世が早い方だった。原と引き継ぎするため連絡を取る。
「あー、会って話す?いいけどさ。話せば長くなるが、話したくないね。」
よくしゃべるくせに回りくどい男だ。熱い話をする男だが、1分で終わる話を10分かけてするようなところがある。ただ、話したくないとはどういう事だろう。とにかく、引継ぎをするために翌日17時に喫茶店で会う約束をした。
「よう、西本久しぶり。」
疲れた顔で、しかし目の奥は眼光鋭く原が現れる。
「お前さ、マスク汚れてねえ?まあいいや。」
会っていきなりこれか。確かに元の職場の片付けなどでマスクが汚れた。しかしそれぐらいは察しがつきそうなものだろう。それにこいつのマスクは汚れの目立たないグレーだ。営業2課は出来る限り白のマスクをすることに決められている。
「オレのことはいいよ。しかし、やってられねえよ。」
さっそく愚痴が始まった。この男は性格も熱いしそれに弁もたつ。目つきが鋭いことと、断定口調で物をしゃべるから妙な説得力もある。それに何より曲がったことが嫌いな男で、誰に対してもそれを指摘する。あふれる正義感が、彼の大物感を引き立てる。
愚痴から始まったが、引継ぎはテンポよく進んでいく。簡単なことを難しく言うが、要は担当者に任せておけば大丈夫だが、期日の設定をシビアにすればいいという事だ。
「あとは篠塚工業だが…。そこの取引は気を付けておけよ。あの会社の槇原って男は要注意だ。」
と原は言う。
「何かあったのか?担当を外れるのも…」
「そう、篠塚工業が原因だよ。俺だと話が通じないってよ。詳しくは本人に聞いてくれ。」
吐き捨てるように言う。
「オレは、間違ったことは嫌いだからな。ま、営業2課から、企画部の営業に転身だ。同じ営業だけど、もうお前とはなかなか会わないかもな。」
担当を外れると言いながらも、企画営業という花形へ行くのか。可愛がられてやがる。
新しい配属先の鹿取課長に報告する。鹿取課長は多くを語りたがらなかった。
「西本、営業4課から話は聞いている。君は話をわかりやすくしてまとめるのが得意らしいな。篠塚さんの話は多くを掘り下げなくていい。ただ、わかりやすく話を進めてくれ。」
掘り下げなくていい?ならなんで配置換えが起こるんだ?
赴任早々、取引先周りに追われる。問題の篠塚工業にも顔を出す。担当を呼び出すと槇原さんが対応してくれた。
「どうも、課長の槇原です。いや、大変だったでしょう?いろいろありましてね。まあどうぞ、こちらへ。」
槇原さんは課長だった。取引先とはいえ、こちらより格上。しかしずいぶんと腰が低い。製造についても、納期についても話は簡潔で、わかりやすく話を進めてもらえる。
「わが社は名目上、どの取引先さんにも同じ値でおろしていますが、御社は特にロットも大きいですから、別途リベートという形で伝票を書いております。西本さん、今後もよろしくお願いします。」
聞いたところ、別段揉めるようなことは何一つとない。原はいったい何を間違っていると思ったのか。
「原さん?あの人の話が聞きたいんですか?」
あれだけ丁寧に対応してくれた、槇原さんが、めんどくさそうに口を開く。
「原さんは、リベートの伝票が気に入らなかったんですよ。」
原は優れたビジネスマンだ。リベートの仕組みがわからないようなバカではない。
「2か月前に御社が注文した部品がね、100ケースほど遅れたんですよ。聞けば御社にはまだ300ケースの在庫がある。ならば、それまでそれを使っていただいて、二日ほど遅れると。部品自体は当社に合ったんですが、配送先の手違いでね。」
納期遅れは褒められたものではないが、在庫があるなら今回だけは、と見逃す。まあ、仕方がないだろう。
「当然伝票は、部品と同時にいれる。しかし、リベートの伝票は締めをまたいでしまった。今回は当社の落ち度なので納品したものとして『みなし』で入れましょうと。」
しかし、原は見逃さなかった。
「みなしとは何ですか?当社の注文に対して納品が無い。これは明確に御社の落ち度。原価を下げられないから値引き(リベート)で入れるのは御社の都合。なら、今回はリベートではなく、伝票原価を下げるのが筋でしょう。」
「原さん、値引きを入れたほうが、当月の原価は下がりますよ?」
「槇原さん。当然先に入れれば当月は下がる。しかし、翌月は上がる。」
「わかりました。今回無理を聞いていただいている。来月はその分もリベートを入れましょう。」
「槇原さん。そういうことを言ってるんじゃないんですよ。」
なんだこの問答は。配送が遅れるだけなら、伝票もリベートも見なしで入れればいい。そして来月色を付けてもらう。それで済む話じゃないのか?
「そうなんですよ。」
槇原さんは言う。篠塚側としては、配送先の落ち度もかぶると言っている。しかし原は、とにかく在庫と原価の数字が合わないことを忌み嫌った。槇原さんやその上司だけでなく、篠塚工業全体の体質がこうさせたと大きく騒いだらしい。
「で、どうなったんですか?」
「いや、それ以後、話になりませんで。うちは信用できないと。ただ、御社も部品がなくてはいかんので、鹿取さんに頼みまして、当社としては伝票を従来通りに出した。それでまた、原さんがおかしいとおっしゃいまして。」
この程度のことでこの取引から降ろされたのか…。ただ、原は誰が何を評価したのか、係長から課長補佐に栄転である。
別れ際、槇原さんは遠いところを見ながら言う。
「だいたい正義感の強い男ってのはね、めんどくさいもんなんですよ。でもね、それって、本当に正しいんですかねえ…。」
槇原さん、わかりますよ。でもね、本当におかしいのは、その正義感に対しめんどくさがって「お前は正しい」って言ってしまう世の中なんですよ。そして、怖いことに、その正義漢は誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の正しさを立証しようとする。無自覚にね。
「無自覚。なるほどね。」
槇原さんは変わらず遠いところを見る。
「私もね、配送先を責めてしまったんですよ。焦ってしまってね。ですが、これも私の保身だったんですかね。」
「そうですね。槇原さん。間違いは誰にでもある。それを許さないのは間違いかも知れません。ウチも差し迫っているわけではないですし、御社もまだ余裕がある。単純に納期を二日早めましょう。締め日から遠ざける。それだけで済む問題だ。」
「西本さん。あなたとはうまくやっていけそうですよ。」
正しさとは、正確さである。ただ、物事にはいくつも角度がある。立場によって見え方は変わる。自分が正しいことに自信があったとしても、「自分が間違っているかもしれない」この視点だけは無くしてはいけないのだ。
★ 以前まったく違うところに書いた話の焼き直しです。
正義の男は原、それに振り回される人間と評価する人、それを冷ややかな目で見る西本、という構図です。
そういう業界にいたことは無いので、トンチンカンなことを書いているかもしれないんですが、自分が正しいと思っている人間が苦手でこれを書いています。
登場人物が80年代の某球団の選手の名前なのは気にしないでください。
